鰐陵同窓会とは

同窓会
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  同窓会の沿革(抜粋)

大正12年4月1日 宮城県立石巻中学校として開校
昭和3年3月5日 同窓会発会式を挙行(会長は校長) 
昭和8年6月10日 プール新設  総会において会則変更。
昭和21年5月5日 山形又右衛門,初代会長に就任  
昭和23年4月1日 学制改革により宮城県石巻高等学校開設,同併設設中学校を併設
昭和41年3月11日 雄心会館(食堂兼合宿所)落成式を挙行
昭和58年3月15日 講堂兼第1体育館竣工
昭和60年3月15日 合宿所兼艇庫竣工
平成10年2月20日 鰐陵会館竣工
平成18年6月23日 図書館(旧講堂)お別れ会

鰐陵」が,本校の公的なものに正式にもちいられたのは,同窓会報が初めてである。昭和3年に第1号を出した「同窓会報」が昭和14年の11号より「鰐陵」と銘打って再出発したのが,それである。その後,ただ今の「鰐陵」新聞が,同じ名称で創刊されたのが昭和22年12月18日のことである。

昭和23年の学制改革に伴い旧制中学校と新制高校の卒業生を統合する必要が生じ,同窓会の名称に「鰐陵」を用いるようになったいきさつについては同会報の「創立40周年記念号」(38年)に,副会長山口誠氏が「会名鰐陵について」と題して,次のように述べておられる。

「昭和24年の春に,高校第一回卒業生を送り出す前に同窓会の会員資格を検討して会運営の基盤を明確にしておく必要性を感じた。そこで山形会長と私とが学校当局の立会いの下で,生徒会の役員と話し合った。生徒会の側では,別に一家を創立する意志はないし,会名を統一して歩みを共にすべきである旨を強調してくれたので,ここにはじめて「鰐陵同窓会」の名称が生まれた訳である。

「鰐陵」なる呼称は,古く昭和の初年に,「鰐陵クラブ」の名称をもってしたことがあった。地名の鰐山の「鰐」については,この地帯に古墳文化期に「ワニコベ」という豪族が住んでいたのに起因すると伝えられるが,ワニの文字が「鰐」か「王仁」かは明確ではないし,史実として確証することは現段階では不可能である。いずれにせよ母校の位置が鰐山の景勝の地を占めているし,古くから呼びなれた「鰐陵」が少年期の母のふところにも似た甘美な追憶を誘うのにふさわしいということに意見が一致して会名に決定したわけである。

現在,生徒が愛唱している校歌は,その当時の教員であった淺野正蔵氏が作ったものであるが,その中にも「鰐陵のその名かざして」という文句がある。昭和27年11月の制定であるが,ここに及んで「鰐陵」即「石高」の観を,自他ともに認めざるをえない。

石巻高校鰐陵新聞100号/教頭 渡辺仁作 (昭和40年9月30日刊)より抜粋